猜疑心を乗り越えてともだちになる「オオカミのともだち」

いきなりともだちはできません。

「オオカミのともだち」 作: きむら ゆういち 絵: 田島 征三 出版社: 偕成社
対象年齢:3歳から 発行日: 2001年10月
2002年産経児童出版文化賞推薦

私の友人が言っていました。「ともだちは、つくるもんじゃない、なるもんだ

ともだちは意図してつくるもんではありません。自然発生的になるものなのです。自然発生といっても、いきなり仲良しになる、なんてことはまずありません。

最初ケンカをしたり、いがみあったりすることもあります。あるいは、「なんかウサンくさいな」とか、「鼻持ちならないやつだな」なんて思いながらも、いつの間にか信用が重なりともだちになってた、なんていうのが一番ともだち形成のあるべきプロセスかもしれません。

私の大学時代の親友の第一印象は、「インチキくさい」でした。それでもなぜか会った初日から、大学のある街を探索したり(その友人は自分の自転車ではない他人の自転車に乗っていました)、一緒にメシを食ったりして意気投合しました。そして、彼女ができそうになると互いに邪魔をするなど、あまりすがすがしく無いともだちでしたが、それでもそこから十数年経つとお互い結婚もして、なぜか互いの結婚を純粋に祝いあっていました。こうして、友人のことも自分ごとのように思えるようになったのは、これまでのプロセスがあったからです。

このお話は、オオカミがクマとともだちになる話ですが、オオカミのクマに対する猜疑心から始まります。ともだちに抱く印象として、歪んでもなく、至極まっとうな感覚です。オオカミが先頭になってトンネルに入り、クマはオオカミの後からついてくるシーンがあります。この時にオオカミが思ったことは猜疑心のいい例です「この状況では自分はクマに食べられてしまう」。

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食べないにしろ人間にも確かにあります。「こいつ、俺のことだまそうとしてるのでは?」「こいつ、俺のこと利用しようとしてるのでは?」、でもそれが誤解だと分かった時にはじめて友人として、手と手を結びあえるのです。

また、クマはとっておきの自分の狩場をオオカミに紹介します。

自分の宝物を友人に惜しげもなく差し出せるか、あるいは友人とシェアできるか。

これもともだちになるための条件です。

そしてお尻をハチに刺されたクマはそのことをオオカミに隠します。

自分の弱みを簡単に友人にみせない。

これも、友人と付き合うスタンスとしては大事です。友人同士は決して庇護の関係にあるのではなく、対等な関係を維持すべきなのです。

最後にオオカミは一人の方が気楽でいいと、また一人になります。

付かず離れず

べったりくっつきすぎるとお互い疲れてしまいます。独立心を保ちながら、お互いの関係をつくっていく。これもともだち関係が続くためには必要なことです。

この本はともだちになるプロセス、ともだちを維持していくために大事なことがすべてつまっていました。

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