戦後最年長41歳でプロ棋士になった今泉健司さんのこれまでの歩みが、NHKニュースで取りあげられていました。ニュース番組の一企画で、時間も5分~6分くらいのものですが、それでもプロ棋士になるまでのキャリアが詰め込まれていて、かなり感動を誘う内容になっていました。残念ながらその番組はYoutubeであがっていないのですが、あと一歩でプロ棋士というときに今泉さんの地元NHK広島放送局が同じく地元ニュースで今泉さんを取りあげました。その動画が次のものです。
やはり今泉さんも若いころにプロ棋士の登竜門の奨励会に入会されています。その後、三段から四段になることができなくて、プロの道を諦めます。そのとき、師匠が言われていて興味深いセリフが、「自由奔放なところがあって、ちょっと目を離すと将棋以外のところに興味を持った」ということです。上記の動画では今泉さんはそのことに対して言及はありませんが、プロになった後にはそのことを振り返られています。その振り返りの際の表現がすごい。
阿修羅になる時期が必要だと思った(でも自分にはできなかった)。
ご本人は人によっては時間の差があるとはいえ、2、3年は必要ではないかと言われています。修羅の如く、寝食忘れるくらい将棋に集中しないとやはりプロにはなれない。今泉さんの言葉にはプロの厳しさが現されています。動画の中にもコメントとしてありますが、「自分の才能から抜け出せなかった」「相手のことを考えずに自分のことのみ」「お互いが尊重して認め合わなくてはならないのに、その部分を無視していた」など、自分にばかり目が行き、相手のことに目が行っていなかったことがプロの壁を越えれなかった理由として分析されています。
その後、今泉さんは将棋以外の仕事に携わり、そして介護の仕事に就きます。ここで認知症のお年寄りや体の不自由な人と接することで相手に対してゆとりをもって接することができるようになったと本日の番組では言われていました。おそらく、これが今泉さんのキャリアの大きな転換点であり、そこから今泉さんの将棋が変わったのではないでしょうか。つまり相手を意識して、相手に合わせて自分のペースを乱さずに接することができれば、先ほどの将棋の視点も自己から他者に変わります。また他者も敵対の相手だけでなく、同じ場と時間を共有して、将棋をしているパートナーとしてとらえることができます。そうなるとまさに「棋は対話なり」が実践できるのです。
今泉さんの話は、自分の領域で伸びあぐねていたところ違う経験をしたからこそ、自分の領域でぶつかっていた壁を破った良い事例です。人々のキャリアを見る限り、その違う経験は自ら望んだ経験でもないし、過去の栄光から見れば左遷のようなケースもあります。それでもめげずに前を向いてそれを打開しようとしている人に周囲の人は心を寄せます。だから今泉さんの話はストーリー性も高いのです。プロへの編入が決まり広島に帰り、最後に職員に迎えられて抱き合うシーンはやはり目頭が熱くなりました。今泉さんの話は周囲だけでなく、観ていた私も応援したくなるものでした。