北斎の世界。

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上野森美術館の偉才、極彩、北斎、HOKUSAI BOSTON展に行ってきました。1時間~2時間待ちは覚悟していましたが、平日の夜、しかも開催から1か月半経っていましたので、並ぶことなくすんなり入れました。しかし、入場すると作品までは人が列をなしており、作品を目の前にするにはやはり並ばなくてはならないありさま。このあたりがさすが東京の美術館といった感じです。

さて、私は美術館で北斎の作品を見るのは初めてでしたが、今まで見てきた本では見れなかった絵の細かさや色彩の鮮やかには驚きました。やはり作品は本物に限ります。絵(北斎の場合は版画ですが)を目の前にして「おーぉー」と唸るしかないのです。神は細部に宿るというか、北斎の場合は神がつくった細部が観れたという感じです。そして遠くから引いてみても、近くからみても北斎の絵にまったく「隙」がなく、すべてが計算されているというか、構造的になっているのです。あとから調べれば、それもそのはず。北斎の作品は幾何学的構図になっていて、どこに何を書くか全体のバランスを最初に考えて描いていたようです。

正直、その緻密さは「恐ろしい」という感想しかありません。恐ろしいというのは神がかっているということです。北斎は印象派の人たちモネなどに影響を与えたと言われています。しかも、笑える話があって、北斎の作品が最初に海外にたどり着いたのは、伊万里の陶器が海外に輸出(この表現が妥当かは知らない)されたときに、陶器のパッキングに北斎の描いた漫画が使われていたということですから、絵心のある外国人がそれを観て、今では有名な画家、ゴッホなどに伝えたということです。多分、そのパッキングに使われていた絵を観て腰を抜かすほどの驚きがあったのではないでしょうか。

そして、今回美術館では北斎の生い立ちに合わせて作品を展示されていたのですが、北斎の面白さは「富嶽三十六景」という有名作があるように、一つテーマを決めたら徹底的に描きつくします。「遠近法」と決めたら遠近法、富士山とと決めれば富士山、水と決めたら水というように、同じテーマでも細かいものもあれば、おおまかなものもありそれでも並べた時にバランスがとれています。そして絵が変化(正確には成長)していくのが楽しいのです。

日本が海外に誇れる作品ですし、それよりも北斎の作品は日本人のための原風景であるようにしてなりません。北斎の作品は畏敬の念さえも抱きますが、一方でどこか私たちを安心させます。それは日本人だから抱ける感覚ではないでしょうか。

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