防災サバイバルキャンプ、最終日は陸前高田を車で案内していただきました。復興に向けた街づくりについて、ご案内いただいた社長さんの想いなどを率直にお話をいただきました。やはり関係者がいると、その立場によって意見は異なるわけで、対立も少なからずあるようです。このようなお話もメディアを通じて流れてくるものではなく、現地の方から直接お話を聞く他に得ることはできません。
「奇跡の一本松」も復興の象徴になっていますが、実際にはすでに枯れ始めており、その維持費に1億円の予算が必要になったこと、予算をかけないとすればどういう方法で松の木を残すことができたか教えていただきました。
今となっては遅いことですが、かつての街づくり計画も駅ができて、市街地が広がりました。その市街地は昔は「沖」「沢」という地名がついていました。これはその土地は昔は海であったこと現しています。そして主要道路も通りましたが、海抜わずか2mの高さに道路が通っていました。その市街地や道路が今回の震災の被害にあいました。
復興に向けて、現地では土地のかさ上げ工事が360億円の予算をかけて着工されています。その盛り土は山を削っています。そして12mの防潮堤もできる予定です。その高さの堤防ができてしまっては海が見えなくなります。復興に向けた街づくり、賛否はありますが、これも現地を見て、現地の人に話を聞かないと是か非かは何とも言えません。
この防災サバイバルキャンプの振り返りで、今回の学びと今後に向けて何をしていくかが話し合われました。私の感想としては次のようなものです。
今回のプログラムは単なる防災訓練ではなく陸前高田の方々の体験から学ばせていただきました。その体験も人間の生死にかかわる体験です。説得力があるどころか、それを聞く人に響かない話のわけがありません。つらい体験から得た教訓を言葉にして、参加者に伝えていただいたことに感謝いたします。そして、その教訓は語り継がれていくべきです。それを聞いた人たちは自分の住んでいる地域に持ち帰り広めていくことが、やはり私たちには必要なのです。
私の地域は、海から近いにも関わらず神社から見下ろしたような高さの建物はほとんどありません。そして、山もなく、あるのは低層の住宅ばかりです。その違和感や怖さを少しでも多くの人に伝えていかなければなりません。また、私が一人旗を振ったところでこの危機感は伝わりません。やはり、それは被災された方の人の心に響くお話であり、現地に残された光景を目の当たりにしてこそ気づかされることがあるのです。
今回は本当に充実したプログラムでした。何よりも私が一番嬉しかったのは、高田の人たちと出会えたことです。色んな状況の方がいらっしゃいました。家を流された方、家族を亡くした方、病気を患った方。みなさん、それぞれ震災時の体験があり、そして教訓があり、それをお話していただきました。それでも何かにチャレンジしたり、前に向いて生きようとされている姿勢にかえって私の方が元気をもらいました。
復興に向けて、必要なのはボランティアだけではなく、交流人口であり、生活の糧となる仕事です。それは陸前高田だけの課題ではありませんが、やはり苦難を乗り越えた人々の「強さ」は、資源として街づくりに活かされるはずです。