子どもの習いごと事情。

2歳だから、そろそろピアノを始めさせた。

1歳からスピードラーニングを聞かせる。

幼稚園からバレエのレッスンに通わせる。

私の周りの親御さんはなぜか子どもに習いものをさせたがります。しかも未就学児童と言われている時期からです。そりゃ、何かを身につけるには早い方がいいのですが、あまりにも早すぎるような気がします。運よくその習いもので、生涯自分がつき進めていく道をみつければ、子ども、親ともどもに幸せなのですが、そこにたどり着く前に子どもたちはいろんなものを習いはじめます。

よくよく自分の子どもの頃を思い出すと、さすがに未就学児の頃は何も習っていませんでしたがいろいろありました。習字、そろばん、公文、そして町内会のソフトボール。私自身のことでいえば、どれも一つも身になったものはありません。「それは友達がやってるから」「親に進められたから」という理由で始めたものばかりで、何一つ自分の意思で選択したものでないからです。今ではそれが上記のような英会話や音楽、スポーツに変わっているように思えてなりません。いろんなものを習い始めた結果どうなるか。

もう動けん・・・

もう動けん・・・

小さいながら肥満状態になります。自分の意思で習いものや教室を始めたのであればいざ知らず、少なくとも親が提供するもの、押しつけられたもので始めたのものにはやらされ感があるのです。そして、子どもたちの立場で考えると、常に何か習いものをしていおかなければならない、土日はイベントなのでスケジュールがパンパン、なんて忙しい生活を望んでいるわけではありません。子どもは縛られることより自由をのぞみます。やはり、自分のペースで、少しずつでも自分のできることを発見したいのではないでしょうか。それを大人の勝手な思惑でコンロールするから嫌になるのです。

子どもにいろんな経験をさせたいという親の気持ちも分かります。ただ、3歳くらいの子どもにとって課題を課す習いものは自由を奪います。3歳くらいまでの子どもは自分で遊びを見つけて、それに没頭したいのです。その中で決まり事をつくって繰り返し同じことをして遊びます。小さい子どもを見ていると、何か一つのおもちゃを選んで、同じことを繰り返しますことってありますよね。子どもは自分の中で決まり事をつくることによって安心を覚えます。その自分の決まりごとが少しでも乱されると小さい子どもは困惑します。子どもがおもちゃで遊んでいるところ、突然取りあげると子どもは執拗に泣いたり、怒ったりすることがあります。それは子どもの決まり事を突然壊してしまったからです。

あっ、これ別に私が言っているわけではなく、モンテッソーリの教えです。モンテッソーリはこのこと「秩序感」と呼んでいます。

早くからの子どもの習いごと事情は、子どもが自分で何をするか(遊び)を奪っているようでなりません。スポーツやお稽古ばかりが学びではありません。子どもが自分でつくった遊びの中にも学びはあるし、日々の暮らしの中にも学びがあります。日常の些細なことや、大人からしてみると当たり前のことでも子どもにとっては新鮮だし、驚きにあふれて十分な学びになります。子どもの立場で学びの材料を探してみてもいいのではないでしょうか。

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