暗闇ごはんが味覚を研ぎ澄ます。

アイマスクをしてご飯を食べる「暗闇ごはん」に参加した。視覚をたつことによって味覚のみに頼る食事であり、究極の味覚のトレーニングにもなると思ったからだ。これまで、演劇の聴覚、触覚、聴覚の感覚系トレーニングはしてきたが、味覚だけは意外と経験がなかったので興味をもった。

さて、会場に到着すると、いきなりアイマスクをつけ視覚をたたれ、スタッフの方に座席まで手を引かれて着席する。すでに会場には参加者が到着していて、自分の周囲にも数人の参加者がいることが感じられる。声を出してあいさつをすると私以外に3人の人がいて、すべて女性であることが分かる。アイマスクをしたまま自己紹介などをして、食事開始となる。

主宰がご住職なので、出てくる料理はすべて精進料理、だから野菜料理がメインになる。最初はスープ。匂いを嗅げばだいたい何のスープか察しがつき、舌にのせると何の素材かがはっきりする。その体験を周囲の人たちと話し合う。次にいよいよ箸を使うが、目隠ししたままだと箸を使うことすらおぼつかない。結構な種類の素材があり、素材ごとに箸の使い方を変えなくてはいけない。悲しいかな私はすべての素材をつかむことができないので、皿を口に引き寄せて箸で入れることになる。

見えない食事も徐々に慣れてきて、次は煮物。食べる前に住職から説明があり、煮物には同じ素材を使っているということ。素材そのものはすぐに何かが分かった。たしかに素材ごとに味つけが異なっている。ここまで素材(食事)に対して注意が向いていると、素材の少しの変化もつかむことができる。「これはお出汁が違う」「煮方が違う」など、言い当てることができる。最後が揚げ物、4品あったが、衣の中のものはすべて違う素材。ただ揚げたのではなく、綿密な下ごしらえがされてあることはよくわかる。また、揚げ物によっては味噌がつけてある。その少しの味の違いが嬉しい。さて、このような食事のあとにようやくアイマスクをとり、料理の確認と住職からの解説がある。目に見えていることと見えていないこと、当たり前と思っていることなど、われわれの日常の暮らしについて問いを先ほどの体験を通じてフィードバックしてくれるものだから、実感として受け止めやすい。

私自身はやはり、「日々食事に対して繊細に向き合っていない」あるいは「集中していないこと」に深く反省をした。また、素材はひとつひとつが実はわれわれに箸を通じて語りかけてくれる存在であり、その存在を毎日食させていただいている食(生き物)に対してのありがたみを改めて感じることができた。そして、味覚や嗅覚であるが、これらが研ぎ澄まされるといっても、実は私たちの経験の中にあるものにアクセスしていることがよくわかった。現に私が今まで食べたことのないものは言い当てることができないだろう。実は味覚を高めるというのは、どれだけ多彩な食べ物、そして多様な料理を食べたかという経験が問われることだ。そして、味覚を鍛えるには美味しい料理を食べる他ない。そして、暗闇の状態であるが、人の存在を感じれることで落ち着ける。ただ、おもしろいことに声と存在感だけだが、意外とその人のことが伝わってくる。人を見抜くには、見かけで判断するのではなく、あえて見ないことも必要であると気づかされる。

さて、今回のワークショップであるが精進料理、暗闇、住職という組み合わせだが、非常にさまざまな角度から多くの気づきを与えてくれる。綿密に設計されたワークショップであり、今後学びの場をつくっていく立場からしてみても勉強になった。日常のことを非日常の空間で行うと、改めてその日常の意味や自分が日常に慣れきっていないかを問い直すことができる。非常に魅力的なご住職青江覚峰さんだからできるワークショップである。青江さんのお寺では月に1回暗闇ごはんを開催されているので、また伺って、本格的な精進料理も食してみたい。

暗闇ごはんのメニュー。カレーは会場レストランのカレー。

今回の暗闇ごはんのメニュー。カレーは会場レストランのカレーで精進料理ではない。

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