防災サバイバルキャンプin陸前高田に参加しました(1)。

陸前高田で行われた3日間の防災サバイバルキャンプに参加してきました。参加した理由は以下の3つです。

  1. 被災地から防災の教訓やノウハウが学べる
  2. ロープワークや担架訓練など実践的なプログラムがある
  3. 陸前高田に訪れたかった

初日は、被災された事業者の社長さんに町を案内していただきました。実際に3・11に社長をと社員さんが避難した山道を一緒に歩いてみました。社長は会社の蔵がある裏山の神社に逃げられたのですが、神社といっても結構な高さに位置します。神社の階段を上がると実際に津波が来た高さを示した標識があります。ビルの5階くらいの高さまで来ています。実際に階段の石も途中まで流されて土がむき出しになっています。

自分で登ると高さを実感できます。

自分で登ると高さを実感できます。

さらにお年寄りをおんぶしたり、近所の保育園に幼児を助けに行くのに通った山道をそのまま歩きました。道になっていません。険しいです。当時は日が暮れて、携帯電話を松明代わりにして山道を歩き神社の社に引き返してきたということ。そして社のある広場で火で暖を取ったという体験談を聞かせていただきました。

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山道というよりけもの道です

その後は実戦練習と言うことで、暖を取る訓練です。ただ、火だけおこしても暖は取れないということ。震災時も神社にあった燃えそうなものに火をつけたそうですが、「なかなか暖まらなかった」と社長が言われていました。そのため、竹を利用してテントを張る練習をします。風よけがないと、いくら火をつけても暖まらないということを教わります。竹はたいてい山にありますし、ブルーシートなどがあれば完全なテントができあがります。

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簡易テントだが中の保温性はある

そして、社長さんの避難時の教えにハッとさせられます。

「避難するときは何も持たずに逃げる」

そうなんです。思わずあれもこれもと探していると逃げるのが遅れます。それよりも手がふさがっていては逃げ遅れているお年寄りや子どもをおんぶすることができません。また、けが人が出た場合でも、担架を使っては4人分の手がふさがってしまいます。その点おんぶは一人で済みます。震災時、いったん高台まで逃げた人もいましたが、何かを取りに帰った方が亡くなっています。避難マニュアルや手引きなどありますが、いざというときはそれに従わず何も持たずに逃げることも必要なのです。

その後、会場に戻って火おこしの訓練。はじめて鉈(なた)で薪を割らせてもらいます。鉈も薪にいきなり振りかぶって切り落とすなんてもってほかです。下手をすれば手が切れてしまいます。鉈に薪をつけて一緒にもちあげて、鉈と薪を一緒に地面にたたきます。そうすれば安全に木を切ることができます。実は私、鉈を使ったのも生まれて初めてでした。火も数少ないマッチでいかに火をつけて、その火を維持するかを教わります。火は赤ちゃんのように育てるのだそうです。そういえば、最近の子どもたちはマッチをつけれない子どももいるとか。

ようやく宿に帰って、初日の最後はNPOの代表の話を聞きます。このNPOは女性ならではの視点を活かす活動をされています。震災後、避難所でのことのお話をされていました。物資も生理用品など女性にとって必要なものもあり、それも年代によって異なってくるなど、実に女性の立場で経験則にもとづいた知見を提供されていました。そのほかにも「家庭の事情や地域のことを一番よく押さえているのは女性であること」「避難所のリーダーは女性の方が案外まとまる」など体験をもとにしたお話をいただきました。

初日の内容ですが、被災された事業者の方の体験談があり、実際に町を歩き現場を見てまわり、かつ震災当時の行動を追体験させてもらうことで、臨場感や苦労が震災時には及びませんが伝わってきます。それによって震災に備えるという意識が醸成されます。そして、火をおこす、テントを張るなどの実戦訓練、もうその時は意識が醸成されているので本当に真剣に取り組みます。これほど自分事で考え、教えてもらうことを一つでも身につけようと思わせるプログラムはなかなかありません。そして、自分が自然の中で生きていく術を何一つ身につけていないことを痛感させられた日でした。

防災用品として備えておいた方がいいと実感したノコギリです。

 (次回に続きます)

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