袖振り合うのも多少の縁といったものだが

電車に乗っていました。昼間から老人がお酒の瓶をもって乗り込んできます。

しかも私の隣です。

平日の昼間なのかなりいい匂いです。酒臭いです。

私の隣の隣の方などは危機を察したのか、さっさと席を移動します。私だけが取り残されていまいました。しかも、老人は隣で酒を飲みはじめました。

私はなぜ移動しなかったか、老人に違和感を感じたからです。

公共の場で酒を飲んで酔っ払うなんて許せん!

違います。

私も電車の中で酒こそ飲みませんが、酔っ払って乗車することはあります。

平日の昼間からお酒を飲むのが悪いのか。

これも違います。

平日であろうが、昼であろうがお酒を飲むのは本人の自由です。さすがに私はやりませんが、休みの日であればやってみたいです。

ビジネス街で酒を飲んで乗り込んでくるなんて不謹慎だ。

これも違います。

ビジネス街だって、夜になれば赤ちょうちんや酔っ払いもいます。別にビジネス街だからって飲んじゃだめっていう訳ではありません。

では、何に違和感を感じたか。

酔っ払った老人が電車に乗ってきた。まだ迷惑をかけてないのに、

さーっと逃げてしまった周囲の人たちです。

まだこの老人は何もしていません(少なくとも、私のとなりでゲップをするのですが、酒臭いです。迷惑をこうむっているのは私です)。なのに白い目で見るのは少しかわいそうです。

老人の様子は確かに平日の昼間のビジネス街では非日常的な存在でした。多様性を受け入れる社会であるならば、自分たちにとって常識の外にある人ともかかわりをもたなければいけません。私たちはその人のことをもっと知らなければなりません。

老人はなぜ昼間から酒飲んだのか、何か悲しいこと、やりきれないことがあったのか。もしかして老人の身に聞くに堪えないことでもあったのか。なんて

老人の背景や何がそうさせたのかを聞かなければなりません。それを聞くとその人の経験を一部共有することになる。共有なっていうと聞こえはいいですが、一部背負うことになる。それは面倒くさい、しかも相手は赤の他人。わざわざそんなめんどくさいことが分かっていて、物語を共有する気にはなれない。ならば近づかない方が得策。

自分とは違う人の体験を共有する。これが今後の多様性社会の生き方のヒントになるかもしれません。

と、言いつつそんなたいそうなことでもなく、単なる公共の迷惑の話かもしれません。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加