どっちも正しい。

クレームをいただくことがあります。クレームというのはサービスの受給者からサービスの提供者へなされます。要はお客さんから発信されます。クレームというのは当事者になると、ひどいサービスを受けた!(怒)、お客さんに申し訳ない(汗)、あるいはひどいサービスを受けた!(怒)、うちにとっては正当なサービスです(謝る気なし)という構図が成り立ちます。ただ、客観的に見るとどっちもどっちということが意外にあります。

サービス提供者の品質が至らないこともあります。また、過剰な要求や期待というサービス受給者の思い込みもあるのです。

事実関係を聞いてみれば一番はっきりすることですが、確かにどちらも事実を言っているんです。でも、自分の都合の良い一部の事実しか拾っていないのと、自分の主張を正当化するために事実を解釈するんです。間に立つと「よくもまぁ・・・都合の良いことばかり」とあきれることもあります。

人間は自分のポジション、スタンスからしかものを言いません。つまり偏りがあるんです。その偏りを正論として振りかざす。だから争いが絶えないんです。

そりゃ、当たり前ですよ。絶対に譲れないポジションもありますし、そのポジションを支持する人もいます。残念ながらそれはすべての統一見解ではない。

多分、このままずーっと言っても平行線で分かり合えることはないかもしれません。どっちが正しいかを問うことは愚問であり、正確に言えば、自分はどっちを支持するか価値観を問うているのです。

だから、裁判官が判断を下すのもあくまでも法規国家という価値観のもと判断を下している訳で、それは法規国家というポジションにいるわけなんですよ。長くなってしまいましたが、何を言いたいか。

大岡裁き

大岡裁きってあるじゃないですか、要はどっちもどっちというのを当事者同士に納得させる裁きです。江戸時代の人もこの本質を見抜いていたんですよね。

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