サラリーマンって自分の働く時期の終了が見えるんですよ。世間的に言えば、その節目は60歳。おかしなもんです。働く意欲も能力もある人もいるのに年齢一律でサラリーマン人生を卒業しなくてはならないなんて。
ただ、それは以前のこと。労働生産人口が少なくなった日本では、60歳を超えても、なお働かなくてはいけません。肝心な年金が出ないのですから仕方がないです。
変わらないのが定年という概念、サラリーマンとして組織に勤めあげてきた一つの区切りなんでしょうね。かつて組織では若い世代とベテラン世代の新陳代謝を促すために、強制的な区切りは必要だったんです。
この区切りという悪しき習慣が生きていて、定年までのカウントダウンを数える人がいます。自分の心の中で数えてまっとうするならいいんですが、わざわざ周りに言うんですよね。
「俺もあと数年だから」しかも「おとなしくしておく」とか「無事に終えたい」とか尾ひれつけるんですよ。
これって、自分より年下の人間には絶対言ってはいけないことです。だって、裏を返せば、若い人に対して責任転嫁ですし、丸投げです。
そもそも組織は何のためにあるかを考えたときに、組織は若い人のためにあるんです。ドラッカーのいうように顧客のためにあるわけでもありません。次の世代の人たちに頑張ってもらうようにするのが先人の役目です。いわば、「俺もあと数年だから」はその放棄です。
要は「自分だけがよければいい」という魂胆が丸見えなのです。
これ経済エコノミストの浜矩子さんの言う、自分だけが良ければ病に患ってるんです。
「自分だけがよければ、次の世代の人に迷惑をかけてもいい」なんて思っている人を誰が先輩として尊敬するのでしょうか。誰がおんぶするのでしょうか。そんな人は投げ捨ててもいいと思います。
人間の無意識が怖いっと思うのが、実は本人はこのことに自覚症状がないんです。「俺の目の黒いうちは」という人には、「黒くなくなったら見ないということですか?」と聞いてみたいです。「私がおばあちゃんになっても私のこと好きでいてくれる」という人には、「で、あなたは私のことを好きなの?」と聞いてみたいです。結局、そのセリフの裏側には「自分だけは」というエゴや自我が見え隠れするのです。
自分だけがよければいい人には、誰も応援はしません。「自分だけが」という意識は時として醜いほど表現に現れます。先輩の話を聞きながら自分を戒めなければと思いました。私もその先輩を背負うつもりは毛頭ありません。