Good&Newのプレッシャー。

研修の冒頭で自己紹介を兼ねて、Good&Newというやり方をすることがある。文字通り、24時間以内、あるいは1週間で良い出来事、新しい発見などを自己紹介に添えて発表するというものだ。

ねらいとしては、発言者は自分の経験から良い出来事、新しい発見を探し出して言語化しなくてはならないため、発言者に内省を促すことができる。また、これを続けるとポジティブな思考を生み出す。もとはアメリカで教育学者ピーター・クライン氏が学校内の暴力を解決するために用いられた手法が大きな効果をもたらし、今では企業内の研修に導入されることが多い。

さて、「24時間以内に起こった良いことを」と言われて、私もさすがに言葉に窮すことがある。

正直、ないことがある。

どんな些細なことからでもいいと言われるのだが、やはりないものはないのである。記憶を遡り、些細なことを探そうとする。その時は確かに内省という意味ではよい方法だと実感する。自分に良い経験がない、ポジティブな時間を過ごさなかったことを反省することになるからだ。

それでどうなるか、結局些細なことでも無理やり捻り出すか、あるいは24時間内ではなくもっと前のことを話したりする(冒頭の1週間はそういう意味)。他者の前で自分のことを話そうとするとどうしても緊張や「こんなことを話して、しょうもない人間と思われたらどうしよう」などという他者の眼、評価を気にしてしまうので、やはり誇張や自分を飾ることがついてまわる。

良いこと、新たな出来事というものは、いつもとは「違う」ことである。日常の連続が切れる、外れる、あるいは習慣と異なるところにその意外性や差異は現れる。違うということは変化である。残念ながら人は変化に対して抱くのは抵抗や恐怖である。昨日までと変わらない今日を多くの人が望む。なんだかんだ言ってもいつもと違うことは興味や刺激よりもしんどいことなのだ。

昔、山野ブルースという唄に、今日の仕事のつらさを嘆き、仕事終わりは焼酎を飲んで寝るだけなんていう歌詞があったが、それは日常であり、生活のルーティンである。別にそのルーティンが続くことは他人からしてみればうらやましくもなんともないことかもしれないが、本人にとってみればそれでいいのである。

いつもとは変わらない毎日を「それでいい」、今日も変わらずに生きてこられたことを良いこととして捉えてもよいが、Good&Newは変化を求めている。どちらかというと変わることを強いている感さえある。そもそも人をポジティブ状態にしようとすることこそが、ポジティブを良い状態、ネガティブが悪い状態としていることに他ならない。ネガティブな自分が今日良かったことにはならないのだ。

また、ポジティブ、ネガティブなんて2つの基準でくくってしまうと、自分の気持ちのなかで悲しみや苦しみなどは良かったことには入らない。喜怒哀楽の感情の変化は、別にすべてがポジティブな心理にはならないが、自分の中で起こったこととしては内省する価値のあることである。

人間生きていれば、すべてが良いことだけではない、また毎日発見も起こらない。たまに起こるからそれは意味のある出来事になる。毎日それを探すように促されることを嫌う人間もいることを忘れてはならない。

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