採用担当の知り合いが、しきりに“地頭のイイ人”を採りたい。と言っている。その会社の業界は、現場主義の傾向が強い。その会社も考える時間があれば体を動かす、マネジメントよりもオペレーション、理屈よりも経験を重視してきた。会社の規模が大きくなって、スーパープレイヤーが何人もいるよりも、現場をまとめるマネジャーや経営を見れる経営幹部が必要になってきた。残念ながら現場一筋でやってきた社員には、マネジメントや経営感覚が欠如しており、教育の機会を与えてもなかなかそれを吸収することができない。それであれば最初から、マネジメントや経営を担える人を中途で採用するか、新卒でもマネジャーや経営幹部候補生として資質のある人がほしいということだ。
「地頭が良い人を採るのは危険です」
最初からその担当者の希望にケチをつけてしまった。彼はあ然としていたが、私はその理由を説明した。地頭のイイ人と言うが、有名大学を出ていたり、学校の成績が良いというのであれば、本当に採用基準を考え直した方がいい。いつも成績上位にいて、受験でも失敗をしたことがない。職場に配属されると確かに知識の吸収も早く、要領も良い。これは採る側としては大助かりの人材だ。 また、社内試験でも知識のインプットであればなんなくこなし、文章を書かせても主張や論理展開が分かりやすい。確かに彼が期待するようにマネジメントや経営の勉強をすると難なくこなすだろう。これは何度研修しても身につかない人たちを相手にするよりははるかに効率がよい。
ただし、ここに大きな落とし穴がある。地頭のイイ人というのは学校でも成績上位にいるため落ちぶれたことがない、また勉強で失敗したことがない。そうなると、そこそこプライドは高くなる。残念だが、そのままずーっと成績上位の人生は多くの人には訪れない。上位から脱落することもあるし、思いも寄らない失墜もある。これはよく言われることだが、そもそもが学校の成績と社会人の成績では評価されるものが違う。そのことに直面して適応できない人も出てくる。さて、そうなった場合、何が起こるか。これまで地頭がイイと世間から評価されてきた人たちは、そのことを認めたがらない。
これを組織の運営に当てはめてみると、何かを失敗する、それはすぐに報告すべきことなのに、地頭がイイ、失敗をしてこなかった人たちは報告をあげない。それは自分の評価が下がるから、悪くなるから。プライドの高い人はこれに耐えられない。報告があがらないというのは大事なことがトップの耳に入らないということだ。ましてや悪い情報ほど早くあげるという報告のルールに逆行した行動になる。それは組織を揺るがす事態にもなりかねない。実際に経営破たんに陥ったある会社のトップの会見では、「頭のいい奴が増えすぎた」とボソッとつぶやかれたのは語り草になっている。 このことを説明すると納得もしてもらえたが、彼は言った。
「地頭がよくて、プライドが高くない人ならいいですよね?」
やはり、地頭にはこだわるようだ。それなら私も賛成だ。