「子どもは自然で育てるのが一番」の本当の意味は、考える子どもを育てるため。

最近、読んだ記事で面白いと思ったのが子どもの成功論。Yahooの最年少執行役員の宮澤弦さんのことが書かれてありました。宮澤さんのお父さんは宮澤さんが年長になると子どもに幼稚園を辞めさせて、お父さんと一緒にボートや基地づくりをして遊んだそうです。そのような経験や感性が(経営者の資質に)生きているのでは?ということでした。

宮澤さんのお父さんのことが気になって、調べてみたところ、PTNAに宮澤さんの教育論が載っていました。功行先生が宮澤さんのお父さんです。

長男の弦さんが、《自分で考えるクセがついた》のは、小4の時、功行先生に算数の問題を解いてもらったことがきっかけだ。「翌日、帰宅すると『お父さん、全部間違ってたよ』って弦が言うんですよ。僕はうろたえずに、『だから人を頼らずに、自分で考えることが大切なんだ』と言ったんです」(功行先生)。「それからは何事も自分で考えました。考える努力をしていると伸びるし、確実に力になっていくんですね」(弦さん)。

「宮澤家の3つの教育イデー」」http://www.piano.or.jp/report/03edc/pianostage/2006/11/30_7782.html

世間からみれば奇抜な教育の考え方の背景には「自分で考える力」を育むことがねらいだったようです。宮澤さんのお父さんの考え方に近いのがフィンランドの親の教育観です。こちらは大前研一さんのビジネスジャーナルの教育論に関するコラムからです。

「森と湖の国」と称されるフィンランドでは、夏休みの一ヶ月ほどを森の中で、家族とゆったり過ごします。自然以外には何もない空間で朝から晩まで過ごすにはどうしたらいいか、家族であれこれ考えるわけです。夕飯のために湖に行って魚を釣ってきたり、森の中の危険な植物や昆虫を親が教えてあげたりすることで、家族とはどういうものかということを体感し、暮らしの中で家族から学ぶ、生活の知恵などを教わるという仕組みになっているのです。

そこには大人たちの生活するバンガローとは別に、子どもたち専用の小さなバンガローもあって、子どもたちは、その中で寝泊まりすることで自立心も育みます。

https://newspicks.com/news/1155768/body/ より

何もないから自分たちで何をするか考える。

これって自然で恵まれた環境だからこそできるのです。モノや刺激に満ち溢れた都会ではできないことです。自然の中で草木について調べる、野生生物を観察する。あるいは、農作物なんかが取れれば料理をつくる、さらには味噌とか発酵食品をつくってみたりして楽しむすべを考えるのです。

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地方で起業なんていうムーヴメントが起こっていますが、これも同様の理屈です。生活のすべがないから自分で何かをつくる。立ち上げる。それには単純なことですが、何もない、あるいは制約条件のある中で、自分たちで何がつくれるか考える。地方はクリエイティブっていうのは、地方に行けば誰もがクリエイティブになるのでなくて、何もないところからつくりあげているのです。そのためには自分で考える人材ではないと生活していけません。「教育は自然が一番」なんていう真の意味は、考える子どもの育成なのです。そして楽しもうとするマインドを育むことではないでしょうか。

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