引き際の美学。

広島カープの15番黒田投手が今シーズンでユニフォームを脱ぎました。黒田投手は登板のたびに「これが最後の登板」という気持ちで投げていたそうです。

引退発表は、カープが日本シリーズ進出を決めたときでした。解説で誰かが「良い引き際じゃないでしょうか」と言っていました。今シーズン、チームとしても25年ぶりのリーグ優勝を決め、黒田投手も先発として活躍してきましたが、やはり本人も満身創痍で投球していたため引退を決意されたのでしょう。

「際」という言葉が引っ掛かりました。際とは

もう少しで別の物になる、その物のすぐそば。すれすれのところ。ある事のすぐ前の時。

世の中にはいっぱい際があります。波打ち際、土俵際、瀬戸際、去り際、窓際・・・。生と死の境、海と陸の境、地上と天上の境、出会いと別れの境、明と暗の境など、いろいろな際を表現してきました。

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際を見極めることができない場合どうなるか、ずるずるとそのまま居続けるか、別のものに変わる瞬間を逃してしまうことになります。際とは移るタイミングを自分で決めて、自分で移らなくてはなりません。絶妙のタイミングで際に移れば、周囲の人々は残念がり、その功績をたたえ、記憶に残すのです(功績があればのことですが)。

仕事で引き際に立ち会うことがあります。人それぞれに個性が現れます。今までの人生が現れると言っても過言ではありません。

自分は仕事をやりきったので引退する。

自分が作ったものは渡さない。

自分も長くやりすぎた、あとは若い人に託す

自分はまだまだやれる。そんなことを言うお前は何様だ。

などなど。書ききれませんが、円満に際を見届けられない人もあるのは事実です。一方で簡単に際を迎えられないのは生活がかかっているということもあります。それは必死にもなります。必死は必死なりに、それもすべてが現れるのです。

なんと言いますか、際には欲も見栄も功績も人徳もその人が持っているすべてが出るのです。どんなもの出ようと、黒田投手のように、それは美しくありたいと私は思います。その美しさとは本人が決めるのではなく、周囲が決めるのです。

さて、私の場合は際に行く前に功績を積まなくてはなりません。

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