プログラミング教室の体験に参加してきました。
このプログラミング教室の特徴はメンターをつけてくれ、メンターに自由に質問ができます。
「あのー、これうまく起動しないんですけど」パソコンの操作に関することから、「このコーディングどこがおかしいですかね?」プログラミングに関することまで。
分からないことがあれば遠慮なく質問してください、というお言葉通り、何度となく質問をすると、分かったことがります。
質問は実に効率的な学びである。
そりゃ、そうですよ。一人で考えたり、悩む必要ないんですもの。立ち止まったら、すぐに解をもらうことができます。プログラミングなんて、正解が決まっているようなもの。ましてや時間に余裕のない社会人が学ぶとなると、効率よく学ぶことは何よりもまして求められます。
自分が分からないことが分かる。
質問できるということは、自分が何が分からないかを知ってることです。当たり前ですが、分からないことをクリアにするだけではなく、自分の分からないことが分かることにつながります。
真理を突き詰めたい。
これは子どものの質問攻撃に見られることですが、子どもの「どうして?」は、本当に当たり前のことを聞いてきます。でも、その子どもの「どうして?」にこたえられないということは、本質的にそのことを分かっていないのです。
「火はどうして燃えるの?」
「風はどうやったら見えるようになるの?」
「りんごはなぜ赤いの?」
発明王エジソンの質問です。この質問にこたえることができますか?このように子どもの知りたいという質問こそ、実に深層真理にせまる質問であることが多いのです。子どもの質問をくだらないと一蹴するのではなく、質問を受け止めてみてみましょう。
質問は怖いからする。
「これやっていいですか?」「どうするんですか?」これらの質問は許可、許諾系のものです。相手に許可を求める質問です。なぜ聞くか、許可がないと前に進めないからです。なぜ相手に許可を求めるか、自分で決めない、決められないからです。このような質問は質問をすることで安心感を得ることができます。
質問をする背景にはいろんなものがあります。その背景はよく認識しておく方がいいと思います。