知人から書籍を紹介された「フリープレイ」。インプロヴィゼーション(即興)に関する本だ。本自体はこれから読むのだが、タイトルが即興のすべてを表していて興味深い。
フリーは「自由」、プレイは「遊び」。即興で何かを生み出すにはフリーで、かつ遊び心が必要になる。フリープレイとはいわば即興芸術における心構えということになる。
即興では自由でないとアイデアは出てこない。また、そのアイデアも評価にさらされると自由ではなくなる。この制約もなにもない自由な状態や場をつくりだすには、ルールやコントロールがあってはならない。ブレインストーミングのような批判厳禁で、何が出ても受け入れるという姿勢が求められる。そこで必要になってくるのが遊び心だ。この遊び心も、子どものような無邪気な遊び心であることが自由な状態を作り出す近道になる。
子どものような好奇心をもち、集中してひとつのことに楽しんで取り組む。そのような心構えで臨むと創作につながる新たなアイデアが生まれる。ただし、この子どものような無邪気な心構えを作り出すのが、大人には難しい。大人には常識や、他者の目、評価を気にして、無我夢中で何かに取り組むことはなかなかできなくなってくる。「こんなことをやって大丈夫か?」などと冷静になった瞬間、子ども心は失われていく。
即興演劇のキース・ジョンストンは「子どもが未成熟なのではなく、大人を委縮した子ども」としてとらえた。つまり、子どもの自由な発想は大人になると発揮できないことを言っている。子どもの創造物には神が宿るという。それは子どもの心が神に近いということだろう。
子どもの状態というのは、実は私たちのあるがままの姿なのだ。子どもの頃の無垢な、無邪気な姿。そこに創造の神は訪れる。あるがままでではいられない、色んな仮面をかぶった大人にはなかなかこの仮面をとることができなくなる。そこで必要なのがフリープレイである。何か子どもに頃のように夢中になれるもの、大人になっても一つは残しておきたいものだ。