懐かしい・・・、私の子どもの頃も幼稚園で先生に読んでもらいました。
「そらいろのたね」作: 中川 李枝子 絵: 大村 百合子(福音館書店)
対象:3歳から ジャンル:ぐりとぐら・・・かな?
私が子どもの頃にもあるはずです。1967年に発行された本です。少なくとも30年以上前に読んでもらったとき、きつねに何か腹が立ったことをおぼえています。なぜだか、それは分かりません。言葉にしてないからでしょう。
ゆうじが宝物にしている飛行機の模型をうらやましがったきつねは、自分の宝物のそらいろのたねと取り換えてもらいます。お互いの宝物の等価交換です。ゆうじはそらいろのたねをまくと、土から家が出てきて、そこにともだちや仲間が集まるようになって、ゆうじの家は大きくなって、繁盛します。それを見たきつねはそれを「返せ」と言います。そしてお約束のきつねの破たんがまっています。
ゆうじが一生懸命育てた家を今更返せなんて虫がよすぎる、人の成功を横取りするようなもんでしょ!
当時、幼稚園児だった私はそんなことに腹を立てたのでしょう。
さて、ゆうじは与えられた資源を大きく育てました。一方できつねはもともと可能性のある資源を活かすことをせず、自分のその場の欲求にまかせて資源を放棄してしまいました。同じ資源でも使う人によって結果は異なります。そして、
すべての欲が人をダメにします。
これが今の私の感想です。
同じ本を読んでも、年齢によってやはり感じることはまったく違います。そりゃ、そうです。4歳で読むのと、40歳で読むのと違います。40歳にもなればマネジメントなんてことも多少無縁ではなくなり、絵本の世界もマネジメントというフィルターを通して読んだりします。それがいまの私の受け取り方につながっているのでしょう。また、人間観も幼少期のような透きとおったものではありません。多少、性悪説の立場から人間を見ることもあります。
また、この本を読んで気になったのが、なぜ私がキツネに腹を立てたか、今さらながら分かったということです。私の子どものころは、一方的な教授法が主な教え方でした。それは絵本にとっても同じことで、その本を読んで(読み聞かされて)、自分が思ったこと、感じたことを自分の言葉で誰かに話した記憶がありません。ただ、最近は学習の内省化(学んで自分のなかに起きたことを自分の言葉で語る)は当然のようにされています。絵本についても、読んだあとに子どもに感想を聞いたりします。やはり学習の効果としては、後者の方が高いのです。私はこの本を読んで、自分が感じたことを言葉にしないまま30数年を送りました。そのもやもやが言葉にすることでようやく晴れたのです。
なんだか、タイムマシンに乗って過去の記憶を甦らせたような絵本でした。