命をいただくということ。

自然学校主催の子どもキャンプに参加してきました。いきなり、マスのつかみどり。川辺の水たまりに事前に捕まえておいたマスを放流して、子どもたちに手づかみで捕まえてもらいます。

子どもたちよりもマスの動きの方が明らかに早くて、子どもたちはマスをなかなか捕まえることができません。とはいえ、大きな水たまり程度の川辺にマスを30匹くらい放したものですから、マスは石の裏に隠れようが、隅に逃げようが、マスはおのずと捕まえられる運命にあるのです。

生きたマスを捕まえ、まな板の上でマスの頭を包丁でたたいて失神させます。キャンプ長が実演してくれます。それを見て子どもたちは興味深々で見ていました。

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そして、いよいよ、マスのおなかを包丁で開けます。肛門から刃を入れて縦に切ります。目をそむける子どももいましたが、そこはさすが自然学校の方々の解説です。人間が生きていくうえで動物の命を奪うことについての必然性や感謝の念を表すことを丁寧に教えていただきます。

包丁を入れると腸や心臓が出てきます。心臓は取り出しても動いています。そして最後に食道を手で取り除きます。大人の私が見ても生々しい。そういえば、かくいう私も生きた魚をさばいた経験がありません。

マスをつかまえるのも一苦労なのに、今度は調理で一苦労です。調理とはいうものの、実は命を奪う行為です。

失神といっても麻酔をかけているようなもんでしょうが、いざ魚を自分事として置き換えるとあまりいい気がしません。だって、気がついたら内臓とられてるなんて嫌です。

「なんて残酷なことをしてしまっているんだ、ごめんよ。」と思いながらも、だんだんと魚をさばくことに慣れてきます。

そして最後は串を魚の喉から尾にかけて差し込むのですが、結構残虐な行為です。虫の息で動いていたマスもこれで息絶えます。そのまま塩を塗って、火にかけます。

しばらくすると魚の塩焼きの出来上がりです。

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このキャンプのプログラム、子どもに命の尊さと、人間は動物の犠牲の上に成り立っていることを教えるには最高の体験型プログラムです。

そして、魚が切り身であると思っている大人に対しても良い刺激になります。

魚は誰かが命を奪い、ご丁寧にも三枚おろしにして台所の食卓にならんでいるのです。私たちは普段はそのプロセスにたずさわっていないだけです。

さらには、魚をさばいていると、1匹、2匹となってくるだんだん慣れてくるということです。これは自分の身を通して感じたことですが、恐ろしいことです。

生き物の命のありがたさだけでなく、命を奪うことの現実に目を向けるシビアなプログラムです。

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