広島は71回目の8月6日を迎えました。今年の平和記念式典は白いテントが張られていました。さすがに暑いですからね。71年前の8月6日投爆直後はもっと暑かったのだと思います。
今年はオバマ大統領の広島訪問もありました。オバマ大統領は名スピーチを披露します。
71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示されたのです。
メタファーに満ち溢れています。ただ、いまいち何が言いたいのかよくわかりません。死神は舞い降りたのではなく、誰かの意図をもって落とされたのです。自動詞ではなく他動詞です。
石碑には刻まれています。「過ちは二度と繰り返しません」と。責任論でいえば、これは主語が誰なのでしょうか、過ちとは何なんでしょうか、大量虐殺のことか、原子爆弾を使ったことか。オバマ大統領のスピーチでいえば、主語は人類ということでした。
私たち人類は、過去で過ちを犯しましたが、その過去から学ぶことができます。選択をすることができます。子供達に対して、別の道もあるのだと語ることができます。
原爆投下は人類の意志だったのでしょうか。人類とすると特定の誰かに矛先が向くわけではありません。実は責任論的に言えば、結局誰も責任をとっていないとの同じことです。当時の犠牲者の人の苦しみや憎しみを想像するならば、こんな美辞麗句にまとまりきるような状態ではなかったでしょう。そこには壮絶しがたい苦痛がありました。
1945年8月6日は犠牲者の数だけ物語があります。それは苦痛の数です。それを少しも風化させないようにすべきです。だから、私たちは71年たった今でもそのことを思い出す必要があります。
この絵本は兄と妹の物語です。爆心地近くにいて跡形もなくなってしまった兄、兄に差し入れをしようとして差し入れが間に合わなくて難を逃れた妹。決して後味がよくありません。でもやはり後世には伝えておかなければなりません。