荒井良二さんの絵が好きです。荒井良二さんって結構小説家とコラボしてる作品が多いんですよね。江國香織さんと組んだりもしています。
今回、天童荒太さんとのコラボ作品があったので、思わず読みました。天童荒太さんといえば、「永遠の仔」を読んで人間関係を描く悲しみというか、重さに耐えきれなくなりました。下巻を読むのを躊躇したくらいです。でも、読まねばならぬと読み続けました。その方が一体どんな絵本のストーリーを?
いきなり子どもに読み聞かせをしましたが、少し失敗したかもしれません。重い、重すぎる。子どもは意味を解していませんが、大人はよく意味が分かります。キャラクター設定は面白いのです。男の子ゼンが興味をもっていろんな人に「どーしたどーした」と聞く。ゼンが聞く姿は無邪気です。
でも、出会う人が重すぎる。ビルの屋上から飛び降りようとしていた中年男性に「どーした」。それが自殺の抑止になっています。しかし、絵本で自殺をにおわす描写初めて見ました。そして、虐待を受けている小さな男の子ミツに「どうした」。子どもの視点からみると虐待された顔は
顔に絵具を塗っている
ように見えるらしいです。この比喩のしかたにもはっとさせられます。しかも、荒井良二さんの描く、ミツの顔は直接的には痛々しくはないのですが、やっぱり訳アリの顔なのです。そして、虐待を受けているミツは学校に来なくなり、主人公のゼンはお母さんに相談所に聞いてもらいます。相談所でも「プライバシーがありますので」などと回答し、大人の事情がよく書かれています。そして、相談所ではらちがあかないので、主人公の男の子は直接男の子のうちに行くことにします。そんなこんなで、どーしたどーしたと関係者がどんどん増えて男の子のうちに押し寄せます。そして、ドアを開けると、ミツは倒れています。虐待をしていた同居の大人は「はんせいしつに連れていかれる」ことになります。
最後にミツからゼンに手紙が来るのがせめてもの救いです。
誰かを救うにはおせっかいなくらいがいい、ひとりでどうにもならなければふたりでも、三人でもおせっかいな人を増やせばいい。
そうすれば、救えなかった人が救える。本のメッセージはシンプルですが、登場人物の背後は暗いのです。絵本で家族の現実、闇を表現した挑戦作品です。