いまさらながら日舞って英語でもNichibuなんですね。その日本舞踊をまったく説明できないことに気づき、どんなものか知りたいと思っていたところに、ちょうどいい公演がありましたので子どもを連れて行ってきました。
日舞の舞台をいきなり見ても分かるはずもないので、このような初心者向けの日舞理解のための公演といったものは、大変ありがたいです。最初は日本舞踊とは何か?といったところから。「日本舞踊のお母さんは歌舞伎」。上の字の歌もなく、下の字の伎もなく、舞だけのものが日本舞踊。ものごとを単純化してとらえる。分かりやすい説明です。ようは
ストーリーがある踊り
ということのようです。
差し金、布晒の使い方も子どもたちを舞台にあげての体験コーナーもありました。舞台にあがるには足袋が必要になりますので、子どもたちは足袋にはきかえます。足袋はほとんど履かれなくなっていますから、足袋を履く感覚なんていうのも日本人には失われつつあるのかもしれません。私も足袋をたまに履くことがありますが、集中する、うちにこもる感覚は足袋を履かないと出せません。また、演劇などで裸足で稽古なんかすることがありますが、あれなんかは解放感みたいなものが出て、足袋を履く感覚とは真逆の感覚です。
藤娘や越後獅子なども映像で見せていただきました。歌舞伎で聞いたことはありますが、実際に見たことはありません。これも聞くと見るとでは理解の質が違いますね。
あと足拍子の実演。 足でリズムをとるのですが、舞台で鳴らすタン・タン・タタタンなどと音を生で聞くのはやはり迫力が違います。これは映像でも迫力は伝わってきません。
客席に扇子が配られ、雪、雨などの表現方法を観せていただきます。
ひらひらひら
さっさっさささー
などと扇子を舞わせます。これを見てしみじみ思ったのが、
扇子はセンスなんです
以前、暗黙知(=つまりは徒弟制度みたいなものでしか教えられない技能・ノウハウをどのように伝えていくかというもの)のことを調べていたときに、日舞の例があげられて
腕を雷(いかずち)のように振り下ろす
なんて技は、口頭で教えられるものではなく、身体を通じてでしかその意味が分からないというものがありました。たしかにそうなのです雨ひとつ、雪ひとつとって表現するにしても、その人のセンスというか、内面の感覚というものが出されるものだと思いました。また、それに上手い、下手があるのです。
最後には舞踊の舞台を観ました。これも宮沢賢治原作「いちょうの実」を創作舞踊にしたもので、親しみやすい内容でした。次はぜひ、体験版にも参加したいものです。