切符も取れなくなってしまいました。

スイカって便利ですよね。電車に乗るときに限らず、買い物もできます。

スイカが私たちにもたらしたことは、切符を買う時間の節約、お財布を持つ手間をなくしたことです。それが携帯、さらにはスマートフォンにとって代わっていますが、今回はビジネスの話をするわけではないのでその話は脇に置いておきます。

このカードと出会ったのが、10年以上前になります。当時はデポジットを払ってまで切符をカードに代える必要性があるかと、購入を見送っていましたが、いったん購入してしまうとその便利さに慣れ、手放せなくなってしまいました。そして今では鉄道会社の使うカードはすっかり定着しています。私の子どもなどは、生まれたときからスイカがあり、スイカのことを「ピッ」と呼んでいます。「ピッ」があれば、どこでも行ける認識です。

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スイカが逆に私たちから奪ったものは運賃感覚です。路線図で行先を見て運賃を確認して、お金を出して切符を買う。能動的な行為がなくなってしまいました。お金がなくなったころを見計らってチャージして、カードをかざすだけでどこでも行けます。行為自体が受動的なものに変わってしまいました。人間、自らがするという能動的な行為は記憶に残ったり、身体が覚えていたりするのですが、受動的なことは忘れてしまいます。その良い例が読書とテレビの視聴です。本は自分で読む、自分で情報を取りに行くので多少は頭に残りますが、テレビはつけると情報が流れてくるのでほとんど覚えていません。

私たちは路線にいくらかかろうと気にせずに、経路を比較して安い方で行こうなどと考えなくなっているように思えます。時刻表ネットなどを検索すればコストも分かるのですが、どちらかというと優先すべきは時間になっています。

年間の移動コスト、実は相当なものになります。企業でもコスト削減するときは移動コストに着目します。当然、家庭でも同様です。私はコストが気になるので、同じ経路であれば回数券を買うこともあります。回数券はさすがに切符です。最近、回数券を改札に通して、出てくる切符をとらないことが増えています。もう完全に切符を通して、切符を受け取る行為が習慣として身体になくなってしまっているのです。わたし、恥ずかしながらこれを結構やらかします。新幹線なんかでも在来線に乗り換えるとき「切符の取り忘れにご注意ください」なんてアナウンスしているということは、何人かは忘れる人がいるんです。それはおそらく「ピッ」のせいではないでしょうか。

便利さで得るものもありますが、失うものもあります。便利さを求めて自動化に置き換わり、人間がしていた1つの行為や行動がなくなる、これをムダを省く改善とも言いますが、その改善の過程を知らない世代が出てきます。たとえば、一時話題になりましたが、最近の子どもがトイレを流さない、これは自動化による人間の行為がなくなる代表例ではないでしょうか。

子どもトイレ

それはやはり便利どころか、人間の身体感覚や機能を低下させるような、どこか危うさを秘めているようでなりません。

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