里山再生の体験をさせていただきました。一日中、笹刈りしてました。つまり、竹の伐採です。
竹も自然なんですが、竹は自然を壊すんです。これ、すごい矛盾したことを言っています。竹は外来種です。竹は根を張り、すくすくとすぐに大きくなります。すると、竹以外の日本古来の植物は育たなくなり竹に浸食され、一面が竹林になってしまいます。加えて、竹林は高い背のために日が当たらなくなります。そうなると地面で日光を受けて生きていた生物もいなくなり、生態系が壊れてしまうんです。
だから、竹はばっさりと切っていきます。切っても切っても終わりがありません、実に切りごたえがあります。
1時間、2時間、ひたすら竹を伐採します。なんだか、同じことを繰り返す、究極のルーティンワークです。もはや座禅をしているような境地にいたることがあります。
座禅と違うのは楽しいのです。何が楽しいかって、目の前に切った竹の山が積まれるわけです。それが成果なんです。成果が目に見えるって達成感が半端じゃありません。
そして、ようやく雑木林の自然な姿があります。
そして、さらに嬉しいことが起こります。竹に囲まれていたくぬぎの木にふくろうが訪れるようになります(これはすぐにではなく、時を経てです)。なぜ、ふくろうが現れたかというと、竹藪のなかにふくろうのエサの野ネズミがいたのですが、ふくろうは竹藪が邪魔でエサをとれませんでした。竹藪がなくなったことで、ふくろうは野ネズミの捕獲ができるようになったのです。こうして荒廃した里山に新たな動物が訪れます。
里山はそもそも人間によって保たれていました。人間の手が入らなくなると、里山は荒れます。竹林などはよい例です。ついでに言うと、つるもたくさん生えます。やっかいなことにつるは他の木に巻き付いて、木を枯らします。竹林がなくなることで地面に日があたり、土の中の微生物が育ち虫が現れ、それを食べる野ネズミの活動が盛んになり、それまた野ネズミをエサにするふくろうが現れるわけです。自然の循環が回復します。
人間の手を入れると言うとなんだか人工的な感じがするので、あえて人間が見守るという言い方に代えさせていただきます。人間に見守られた里山は息吹があります。人間に見守られないから、里山は死んでしまうのです。だから里山を守ることに人間が関わらなくてはいけません。そして、関わったことで里山は立派にこたえてくれます。これが何よりも代えがたい喜びにつながります。ただ、残念ながら見守る人が少なくなっています。里山は田舎に限らず、どこにもあります。山があり、谷があり、そしてぽつりぽつりと田んぼがあり、田んぼの中にはおたまじゃくしやタガメがいて、その上にはトンボが飛び回る。残念ながら、この光景はただでは享受できません。里山に対してできること始めてみませんか?
(黒いのは全部おたまじゃくしです。少しグロいです)
最後におすすめの本になりますが、里山の原風景の写真集といえば、これです。絵本ですが、里山の懐かしさが伝わってきます。「里山のおくりもの」って本当に良いタイトルです。自然の恵みは人間への贈りもの。人間もギブだけでなくテイクもしなくてはいけません。