企画のミーティング。発想の段階、できればアイデアは殺したくないので、ブレストをお願いした。若い社員が多かったので柔軟なアイデアが出ることを期待したのだが、あまかった。まあ、かしこいメンバーを集めたこちらにも問題があるのだが、何が起こったかというと、批判厳禁などブレストのルールは守られるのだが質問がやたら多いのだ。
- そもそもなんでこのターゲットなの?
- この言葉の定義は何?
- この問いを証明するには何か抜けてない?
- 何でこのテーマに問題意識を持ったの?
質問のオンパレードである。別に質問は悪いことではない。質問できるというのは相手の話に対して何か自分が知りたいこと、疑問があることだし、講演では自分が理解したことを確かめるために質問する丁寧な聴衆もいる。現に最近の学校評価などではプロセスも評価するので、このいかに質問したかも評価指標になっているときく(いや違う、その前段階のいかに多く手をあげたかだった)。
さて、この質問だが、時と場合によってはマイナスに働く。質問なんかしない方がいいことがある。それはやはり「アイデアを出すとき」「物事を前に進めたいとき」この前向きのエネルギーが溢れそうなときに質問をすると、前向きのエネルギーは急にしぼむ。
たとえば以下の会話を見てみよう。
夫「疲れたな」
妻「何で疲れたの?」
夫「いや、得意先たくさんまわったんだよ」
妻「誰とまわったの?」
夫「後輩の山田だよ」
妻「なんで山田さんなの?」
夫「山田の指導もかねてだよ」
妻「なんで山田さん、あなたが指導するの?」
夫「一番年齢が近いのが俺なの!」
などとほどんど尋問状態である。まるで不倫の疑惑をかけられているようでもある。夫は聴かれたことに答えるだけ。妻からの情報の提供はない。これでは話が進展しないし、違う話に展開するなんてことはまずない。
質問はなぜするか?知らないことを知りたい。自分の不明点をクリアにしたい。それもある。根本的にはそれよりも前に自分が知らない状態が「怖いから」「不安だから」。新しいもの(情報)と向き合ったときはとくにその傾向が強い。
そして実は質問する側は意外と楽なのである。自ら何かを創りだす必要はない。アイデアは相手から引き出せばいいのだから。つまり質問者はリスクをとらなくてもいいのだ。そして質問に窮したり、嫌な気分になるのは質問を受ける方である。だから、自分にアイデアがないとき、自分が乗り気でないときは質問でしのぐのが意外と賢い処世術だ。ただ、今回のように企画を新たに考える場面で質問を頻繁にされていては、細部だけが詳しくなり、何も前進するようなアイデアがでない。現にビジネスの世界は質問だらけ。多くがリスクを排除するための質問ばかりである。
さて、若い社員の世代だが、どうも引っかかるのがその質問の多さであり、かつ質問があきらかに自分のために行われていることである。自分が知らないことを聞くのは自分のためであり、相手のためではない。でも、相手のための質問というものある。たとえば、相手のヌケモレを敢えて質問することによって気づかせる。そんな質問は相手を考えさせることに導く質問である。質問されることがかしこいと思われる、教育として評価をされるということは、自分のためしか考えない、リスクをとれない人を育てていることにつながっていることを教育関係者、そして子どもを育てる人たちには分かってほしい。