避難訓練を絶対なめてはいけない。

本日は、私の住む地域の津波避難訓練でした。私の住む街は相模湾に面していて地震があると津波の危険があります。特に私のいるところは海岸から2kmなので決して安全な場所ではありません。東北の震災以降、年に1回は避難訓練を実施しています。

さて、10時に津波警報のサイレンが鳴ります。大丈夫です、サイレンの音もしっかりと聞こえます。「ブレイカーを落としてください」とアナウンスがあります。そうです、火災予防のためガスの元栓をしめ、電気はブレイカーを落とさなければなりません。すっかり忘れていました。

そして、家の外に出ると、近所の人がぞろぞろと出ています。正直、逃げる人が少ないです。世帯数からみれば道が人で溢れんばかりになってもおかしくありません。そして、近所のおばさんは指定された避難所ではなく、うちの近所で一番高いビルに駆け込もうとされていました。「違います」とおばさんを止め、行政から指定された避難所の高台に誘導します。しかし、避難される方、みんな遠足のように歩いています。せめて、身体が健康であるならば走りましょう、しかも避難用具何も持ってなく手ぶらです・・・(現実味が乏しいです)。

避難訓練2

突き当りが避難場所

避難訓練1

海抜10mの高さ

避難所に到着。率直な感想を述べます。

低っ!!!そして狭っ!!!

陸前高田や気仙沼に行って、震災の教訓を教えていただいたので敢えて言います。これでは絶対に助かりません。高台っていっても海抜10mではいくらなんでも低すぎます。また、集まったのは道路です。津波が来て道路が寸断された場合、ここが避難所になりえるのでしょうか。なりえません。

今回参加してよかったと思います。津波が起こった場合、近くにある一番高い場所に逃げるこれ鉄則です。近所を見渡した時、一番高い場所は今回指定された場所ではありません。逃げるべき場所が違うと確信したこと。そして逃げるのときは自分たちばかりでないということが改めて分かりました。それはやはり街にはお年寄りが多いということです。いざとなればお年寄りをおぶって逃げなかればいけません。そうなると荷物を背負って逃げることはできないのです。逃げる時の荷物を再検討しなくてはいけません。

訓練は本番に向けてのシミュレーションです。実際に行動してみて、頭で考えたこととの違いに気づく場でもあるんです。あるいは現実の制約条件を目の当たりにする機会でもあります。都市の震災はやっぱりおそろしいと思いました。ご近所のつながりがあまりにも希薄すぎるのです。逃げながら、顔見知りの人が一人もいません。せめて最小限の単位でもつながりを持つ必要を痛感いたしました。

防災の本は結構読んでいますが、私がマニュアルとしているのは、阪神大震災の教訓をまとめた「地震イツモノート」地震イツモプロジェクト(ポプラ社)です。

この本、震災の教訓をまとめているのでまさに知恵の結集です。そして避難生活のことは、私が陸前高田や気仙沼で聞いたこととほとんど同じことが書かれています。震災が起こった後の生活のことを備えさせるには、本当にリアリティーのある一冊です。ありがたいことに、「地震のあと」と「避難生活」がマニュアルとなって無料でダウンロードできるようになっています。こちらかどうぞ。

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